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Sifu(紙布) 秘めたる可能性 ver.2

SIFUあだちや

 

「土に還るバッグ」

MENYSIDE編


展覧会から半月経った頃から、様々な形で反響が現れてきました。

私はその反響によってSifuあだちやが、勝手に一人歩きするのではと、一抹の不安を感じるようにもなってきました。

そんな胸中でいた私は、「土に還るバッグ」についてもう一度話を聞きたいと、弊社へ訪ねていらした方が私に語ったことを思い出しました。

Sifuとは私が治療の為の療養に入る時期に出会い、構想から1年半でここまで作り上げた事。彼にしてみれば短期間でなし遂げたと思っているようでとても不思議がっておりました。

そんなに不思議なこと?

Sifuあだしやの母体であるMANYSIDE(メニサイド)は、当初はサンプル専門の会社として起業しました。当時は展示会用のサンプルだけで年間で1500~2000型は受注しておりました。

ゼロからの作業となり、型紙をおこす前に色決め、使用内容、部位に合わせて生地の提案や皮革の加工、持ち込みの場合も、生地素材に合わせての形状や資材の組み合わせ、また、生産になった際の縫製工程へのアドバイス。

そうして多くのお客様の信頼を頂きMANYSIDEは、サンプルから、生産加工所、OEMメーカーへと様々なご要望に応えながら進化をし続けてきたのです。

サンプル時代からのあらゆる材料・資材屋さんとのやりとりにより、探求心を高め素材の精通をはかってきました。

長くもの作りに携わる専務は、鞄のパタンナー(型紙おこし)だけでなく、あらゆる素材・形状に対して精通し的確な判断力をくだすことに優れていました。工場長も加工所を経営する両親のもとで長く製品に携わってきました。なので生産工程においては専務の信望も厚く、彼のサンプル段階での意見も重要なのです。

そしてMENYSIDEで働く女性は、内職さんも含め7名です。

そのひとりに幼いお子を育てながら勤務し、保育園から熱が出たとなればお迎えに行く事もまだまだある彼女ですが、専門職として勉強して身につけた鞄製作の仕事を育児と両立させる為日々奮闘しています。

子育てがもう少しで節目を迎える、MANYSIDEの手裁断で職人歴の長い彼女は、高い責任感を持ち、製品に対してとても厳しい目で見落としのない検品・検査をする人物です。私の娘と同学年のお子を育てながら頑張ってきた彼女は頼りになる存在です。

そんな彼らを含めたMANYSIDEのスタッフと社外の多くの協力者がいてくれたからここまで来れたのだと私は感じます。弊社を訪ねていらした方が短期間と語った事を、改めて考えてみました。

実は短期間ではなかったのかもしれない。確かに 構想~「東京都ものづくり・商業・サービス革新補助金」申請~採択~事業開始~現在と1年半あまりの期間ではあるのですが、これまでのMENYSIDEの土台がなければ展示会に出展できた作品が出来るものではないと考えれば考えるほど思えてきたのです。

サンプル屋は丁寧な仕事をする。

それはあたり前の事。完成度が高いほど出展されたバイヤーさんの評価も左右はされる要因となるのです。サンプル屋出身の加工所だからこそ、生産時の作り手のやりやすさを考えて、デザインを維持したままの型紙と試作品を作る。そして、サンプル屋・加工所出身のメーカーだからこそ、素材からこだわり大量生産しても、ひとりのエンドユーザーさんの1個の為の作品を完成させるのです。

MENYSIDEは、共に働く彼らのタフさと、粘り強さと、職人としてのプライドと、順応性が進化へ繋がったとあらためて思うのです。そう考えると、1年半の期間ではなくもっと以前から始まっていたのかもしれません。

だから私がSifuを見つけたのではなく、Sifuが私達を見つけてくれたのかもしれません。そう考えるとこの時一抹の不安がいつの間にか消えてました。

「人能く道を弘む」

ひとよくみちをひろむ

目の前に広がる道はもとは、先人たちが森や荒地を切り開いて少しづつ作り広げていったものです。その前には何もなかったのです。私たちは初めから道があることに慣れてしまっているのです。仕事でも学問でも人生でも同じです。そこに道があるから進むのではなく自分で切り開いて進んで行くのです。

今日はこの言葉が私の心に響いた論語です。

takako.n

 

 

 

Sifu(紙布) 秘めたる可能性 ver.1

SIFUあだちや

 

「土に還るバッグ」

 

 

展示会では無事「土に還るバッグ」の初お披露目ができました。    和紙=紙ですから洗ってもなぜ溶けないの?とか、破けないの?染めることはできるの?とか様々な質問と、驚きと称賛とが飛び交うブースとなりました。

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Sifuあだちや 11号紙布

勿論、紙布(しふ)は水に溶けることもなく、綿と同様に染めることも、綿と同様の強度はあります。

紙布は綿より吸水性が高く、また速乾性も高い。これは何故か?。じつは、綿は不純物が混ざっているので吸水性が紙布より悪いと表現したほうが良いのかもしれないですね。

しかし、原料が和紙である紙布は、和紙を作る工程の中ですでに不純物を取り除いているので、不純物のない布ができあがるのです。ですから不純物のない紙布は吸水性が良く染色もできるということです。

右上の写真はハンカチサイズを2枚重ね縫いした紙布です。縦糸をわざと2cm程抜いて洗濯機で洗ったものです。顔を出した横糸の紙糸は溶ける事もなく、また速乾性に優れた紙布はこの時一緒に洗濯した綿のハンカチよりも早く乾く結果となりました。

同時に紙布の堅牢度の品質検査をおこなった結果、基準値には問題はみられませんでした。今後も様々なテストをおこなっていきますが、不純物のない生地として紙布は、様々な分野で活躍できるのではないかと秘かに考えているのです。・・・・

かくして、大成功に終わった足立区展示商談会の後は雑務と通常業務の遅れを取り戻す作業に、多事多端な状況が続いてましたが、展示会の打ち上げは2月に入ってようやくできました。

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中部ふるさと名物創出支援プロジェクトのブースにて

5日の打ち上げ当日、現地に行く前にお世話になった丸安ニット㈱の伊藤社長に展示会のご報告とご挨拶に、東京ビッグサイトに向かいました。GiftShowに出展中で、忙しい最中でしたが伊藤社長はとても気さくで、丁寧に対応して下さいました。ありがとうございました!!

伊藤社長がしめているネクタイも和紙糸が使われています。お洒落なネクタイでした。

 

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GiftShowをあとにして、皆が先に集まっている浅草へと向かいます。

 

打ち上げ場所の「いさりび」は、オープン当初からお気に入りの隠れやてきの寿司・海鮮料理店で、おもてなしが最高なお店です。20160205_1446

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今日の打ち上げには内職さんたちはいませんが、スッタフは、ほとんど女性ばかりです。

子育てをしながら頑張っている人も多いのですが、最近若手も、もの作りの世界に入ってきました. 毎日、職人女子を目指して頑張っています。

日本の製造業の衰退、高齢化、後継者問題、事業所の環境への貢献と様々な課題はあります。社会を元気にする、幸せにする、次世代へのバトンなど、女性ならではの発想をとりいれながら、メニサイドならではの特徴を活かし「もの作り」に取り組んでいきます。

私は、大切な事、必要とする事に目を向け、耳をかたむけ関心を持つという努力をしたいと思っています。

「君子は上達す」

くんしはじょうたつす

自身を形作るものは毎日の習慣です。毎日食べる食事によって体が形成されると同じように。また、好きな事は毎日続けられるから習慣になります。習慣になればそれが上達していきます。大切なのは何に関心を持ち、何を好きになるか、なのかもしれません。となればできれば、人の為になることに関心をまずは持ちたいです。

今日はこの言葉が私の心に響いた論語です。

takako.n

 

 

Sifu(紙布) 第2のステージ ver.5

20160119_101847年が明けて半月が過ぎてようやく桜井先生の紙布バッグができあがりそれを持って先生に会いに水戸へと向かいました。

その日、先生のお弟子さんの妹尾直子さんとお会いする事が出来ました。彼女は京都出身で、織物の世界に魅了され一時期沖縄でも機織りをしてらした方です。現在は桜井先生のお弟子さんとして水戸へ移り住み紙布を織られています。20160116_162718

彼女の紙布は、とても細部まで丁寧に織り上げる、繊細さと、意志の強い人柄を感じさせる紙布でした。

この日は、22日23日の展示会の進行状況の報告と、『Sifuあだちや』の紙布の仕上がりのチェックと、ネームがようやくできたので、そちらも見ていただきました。とても、喜んで頂き展示会の成功の励ましを桜井先生と直子さんからいただき水戸をあとにしました。

145354406その2日後、東京は真っ白な雪におおわれました。こんな日は雪に弱い都心はいつも交通網がマヒをおこし、通勤に影響がでてしまいます。車通勤の工場長は普段のの3倍近くかけて、出社となりました。スリップによる事故を心配した私は、駐車する車のエンジン音を耳にすると、ホット胸をなでおろしました。 そんな一日から始まりましたが、一度経つと社内は通常業務と新事業の展示会の準備へと、慌ただしいいつもの姿へと、戻っていきました。

 

 

 

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この日も遅くまで残り、疲れきった状態で自宅に戻るとエレベーターが開いた先に可愛らしいうさぎと、雪だるまが出迎えてくれました。一番末の娘が作ってくれて、私が自宅に着く前に、メールで写メを送ってくれていました。最近子供たちは、土日も出社する私に対し、必ず「頑張ってきてね」と声かけをしてくれます。

冷え切った体は、私以外の誰かがわかしてくれたお風呂につかりながら、家族の温かみと一緒に、体の芯と心が癒されていきました。

14535440659その後展示会まで、4日と迫る中続々とツールが出来上がってきました。社員もそれぞれすべき事を1つ1つこなし、私は彼らがプロである事を幾度も実感させられる様を、今回の事業を通して感じることができました。

新事業を立ち上げるという事は、今までの業務に新たに加わることであって、メニサイドはメーカーとしてOEMの仕事においてお取引様に対して支障があってはならないと思っています。

これは、経営者は当たり前のことですが、彼らもその意思が高いということと、どんなに忙しくともクオリティーの高さを維持させようとする、1人1人の意志の高さには誇らしく思えました。

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工場長手作りの棚
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3種類の紙布

 

 

 

 

 

 


いよいよ足立区最大展示商談会『あだちメッセ』の開催です。

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1月22日初日は、多くの事業者の方に弊社のブースへお越し頂きました。お陰様で私は一度もブースを離れる事が出来ないほど盛況でした。

 

14535440659911月23日最終日、この日は土曜日ということもあり、一般の来場者もおおく沢山の方々へ紙布のご紹介ができました。

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弊社スタッフの他、足立成和信用金庫さんも応援に両日とも来てくださいました。本当に感謝です。

 

2016年1月22日~23日『あだちメッセ』の展覧会は、Sifuあだちやの初お披露目としては、大成功で幕を閉じました。

ここからが、『Sifuあだちや』のスタートです。

これからも、沢山の方々の力を必要としながらですが、前を向いて進んでいくのです。

「志士仁人は、生を求めて以て人を害することなし」

ししじんじんは、せいをもとめてもつてじんをがいすることなし

何より大切にしたいもの。それは人を思いやる気持ちです。人は人との繋がりで生きています。そして、思いやる気持ちは人から人へと巡り、生きる力や、立ち上がり、前向きに歩く力を与えてくれます。ですから、人を思いやる気持ちを無くすことは、自分の生きる力をなくすことに繋がるのです。立ち上がることも、前向きに歩くことのない人生を選ぶ事に繋がってしまうのです。思いやりを大切にする人は、困難にぶつかっても、思いやりの気持ちを捨てることはありません。それさえあれば、生きる力を得ることができるからです

今日はこの言葉が私の心に響いた論語です。

takako.n

 

Sifu(紙布) 第2のステージ ver.4

謹賀新年

明けましておめでとうございます。       今年は皆様にとって幸多き年でありますように

鏡餅-3


昨年は様々な出来事があり、UP~DOWNの激しい年でした。また、たくさんの方々の助けをかりての、学びの年でもありました。

物事とはあらゆる人との繋がりと、幾年の過去との繋がりで成りたち、そしてまだ来ぬ未来の為に今を紡いでいく。

私は、自身の経験がもし必然であるならば、点が時とともに線になり、今はまだ出会っていない誰かと繋がった時、何をしながら何処に立っているのであろう・・・と思いを巡らす事が多くなりました。

昨年糸へと撚った美濃和紙が年越し間近に、無事生地へと織り上がりました。

帆布-8号.10号.11号同等の3種類です。綿紙布生成-1

手触りや強度は、綿やジュウトの帆布と殆ど変わらず、重さは紙布の方が軽いのです。

早々に鞄へと製作にかかりたいのですが、その前に二次加工へと進めなくてはならない為確認後、染色工場へとまわしました。しばしのお別れです。

展示会への出品に向けての鞄制作には先ずは、紙布作家の桜井先生の西ノ内紙布を使って製作する事にしました。

風通絣濃い色の方は藍染の綿紙布です。もう一方の柄織りは、帯の風通絣(ふうつうがすり)です。こちらはリバーシブルになっていて両方の柄を楽しめるのです。

風通絣は、通常の紙糸の2倍は使い、綜絖は8枚も使います。綜絖-1

綜絖とは右⇒の写真の物です。

8枚もの綜絖を手と足を使って機織り機で操るのです。

桜井先生の貴重な紙布が、無駄なくしっくりくるデザインに、製作したいと思っております。

 

「学んで思わざれば則ちくらし」

学ぶ事は知識に深みがでて、より世界が広がります。しかし、その知識を持ってどのように役立てるかと考えて発展させる事が大切です。逆に学ぶこともなく考えても、知識もない考えだとひとりよがりになりがちです。

今日はこの言葉が私の心に響いた論語です。

今年も何卒宜しくお願い申しあげます。

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Sifu(紙布) 第2のステージ ver.3

紙布を鞄へ~         クリスマスイブのプレゼント

 


12月24日の今日午前中は、最後の化学療法の日でした。

昨年の7月から始まり、8クールそして薬を変えて18クール、1年半かけての長い投薬生活。化学療法室のドクターとナースの皆さんに別れを告げ通い慣れた投薬室を後にしました。              image976

少し寂しい気持ちになるのも変でしたが、なるべくならもうお世話にならずの生活の方が良いに越したことはありません。

来月にはまた検体検査があるのでまだ通院はいたしますが、ひとまず順天堂医院の担当医のドクター、ナースの皆さんには大変お世話になりました。  有難うございました。

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13時頃には会社に出社し、無事化学療法を終了できた旨を報告すると、工場長はじめ皆んな喜んでくれました。

1年半の間、会社のスタッフや内職さん達には心配をかけ、また不安な気持ちのままでも協力し支えてくれた事本当に感謝をしてます。今日会社でも話しましたが、自身がこの気持ちを忘れることなくいる為に、ここに書き留める事にしました。

連日の追い込みに皆も疲れがピークになっている。でもまだ私たちはできる事があるはず。そんな熱い思いが社内に感じ取ることができるのです。

以前、私はブログで語った5月頃に感じた『何』かが変わり、また変わり続ける『何』についてですが、多分私自身の事だったのかもしれません

私が居ない間、皆が必死に会社を守り続けてくれた事により、私に変化がおきたのだと思います。変わらなくてはならないのだと本能的に悟ったのだと思います。

image756 私へのクリスマスイブのプレゼントは、こういった事柄なのでしょう 。皆さんにも、素敵なクリスマスがむかえられますように。

Merry Christmas ~♥


 

 

Sifu(紙布) 第2のステージ ver.2

紙布を鞄へ~ Sifu Bag                       20151205_174909


桜井先生は紙布を作務衣やシャツへと仕立て、残ったsifu.8ハギレを私にくださいましたが、貴重な布なので何か小物にできないかと考え、コスメポーチとBOOKカバーを作りました。

機織りの時にでた和紙糸の残りも使いたくて、それぞれパラコード網にして引手飾りにしてみました。

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BOOKカバーは、小説を読む事が好きな私にとって、鞄の中で本のページが折曲ったり開いたりしてしまう事に苛立つこともあり、それを解消する為にぐるっとファスナーで囲む形にしました。

このように、形を変えてみればみるほど実は和紙でできているなどと、誰も想像はできないでしょう。

和紙を原料とした紙布は、他の生地とほとんど変わらず紙だからといって水につけても崩れたりしません。軽く通気性も良く、丈夫な紙布を鞄にする為に改良し太く丈夫な原糸を作る事にしました。

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織り上がる生地は、用途に合わせられるように帆布生地の8号・10号・11号同等の紙布に織り上げる為、3種類の和紙原糸を製造しました。(通称チーズ巻と呼んでいます)

生地の染色も環境に配慮した草木染めにします。先ずは、最初は生成りからの製作です。

 

現在、和紙糸は織機にかけられ生地へと織られている最中です。

織り上がるのを楽しみにしながら、鞄のデザインも合わせて進行中であります。

作品は来年1月の22日23日に足立区の北千住西口駅の丸井11階にて開催される展示会『あだちメッセ』にて出展予定です。

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あだちメッセ  ⇒ http://www.adachi-messe.org/

会社へのお問い合わせ⇒ http://manyside.hp.gogo.jp/pc/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sifu(紙布) 第2のステージ ver.1

紙布を鞄へ~


5月の終わりごろ、久し振りに職場へ出勤しました。この頃には、化学療法も半分まで終わり、残すこと8クルーとなり長い治療もようやく先が見えてきました。

私が不在の間、経営パートナーで、私の夫でもある専務を中心に会社を守り、私の復帰を心待ちにしていてくれたスタッフ皆の顔を見ると、ホッとすると同時にこの一年で『何』かが変わりそして、これから尚も変わり続けていく空気を感じとりました。

この時には解りませんでしたが、その『何』についてなんだったのかが、後に答えが解るのですが、しかしそれはもう少し先の事です。

6月に入り、仕事の完全復帰に向け始動する私に更に前進させる出来事がありました。私が一年前紙布をテレビで見たその頃、専務に紙布で鞄を作りたいと話していましたが、その時は「1点物ならまだしも、生産となるとコストが合わない。話にならない。」と打ち切られてました。しかし、私は諦めきれず治療の合間に紙布を学ぶ為に動いてましたが、実は専務も、生産用の紙糸を探してくれていたのです。

そして、私がそれを復帰後最初の案件として手掛ける時には、新事業として立ち上げる間際までになっていました。ここに至るまでには、専務とスタッフだけではなく、10年近く弊社の担当をし私が不在時に専務を支えてくれた会計事務所の先生、取引先の信用金庫さんと様々な人達の支えがあっての立ち上げでした。

 

大病を患うと、大半の人達は何が間違っていたのだろうかと過去をふりかえりますが、私も大半の中の一人でした。

しかし、私には守るべき会社があり、そして、家庭には3人の娘たちがいることで、未来への事の方をより深く考えたのです。

私は何を残し、何を伝えられるのか・・と。20150704_101049

免疫力について、あらゆる本を読みあさっていた私は、身体は口にする食物によって創られていく事に注目しました。

そこで今後先、食べ続ける食事から体への影響を考え、極力自分の手で野菜を作り続けることにしました。そしてそれを食卓へ並べる。

また、自分の手で作った野菜はどれももったいなくて、以前は捨てていた葉の部分まで調理したり、ピーマンも必ず種まで食べるようになっていました。akiyasai2

このことを続けることで私は、農園へ足を運ぶことが多くなりました。そうしていると日常の中で自然界での変化や季節ごとの移り変わりに敏感になっていくのでした。

野菜作りには土づくりが大切です。土壌が悪いと根腐れしたり栄養価も低かったりと影響も大きいのです。このような事を毎日意識しながら生活していくと、仕事へもおのずとその考えがシフトしていくのでした。

昔の人達は生活や仕事も、自然の恩恵の中で育くみ、そして役目が終わったら自然に返還する。そうすと、また新たな恩恵を受ける。そのように自然と一体となって生きてきました。

その循環を壊してしまう、自然に還すことができない物は本来は創ってはいけないのではないかと、ふと考えるようになっていたのです。

事業者として、親として、残すべき物、伝えられる事。それらが紙子・紙布や織物の歴史を学ぶうちに、先人からのメッセージが届いてきているように思えてきたのでした。

こうして紙布の鞄~『Sifuバッグ』は和紙を原料としてだけでなく、自然環境への配慮をもりこんだ鞄としてここ足立区から発信していくことにしたのです。

 


 

Sifu(紙布) - history

紙子【かみこ】と紙布【しふ】 ここで紙子と紙布の違いと、歴史について少しお話しようと思います。 sifu.8 奥州では紙子と紙布を古くから衣料用として使われてきました。昔は木綿が高価だった為紙の産地の普及と共に様々な素材を取り入れ発展をしてきたようです。 紙子は紙衣とも書き、貼りあわせた和紙をよくもみ、柿渋を塗って仕上げたもので防寒用の胴着や寝具によく使われておりました。 一方、紙布は和紙を糸にして織られた布で、とても手間のかかる素材ではありましたが、紙子より軽く丈夫でもある紙布は何度でも洗濯が可能であり、宮城県白石市の特産であった白石紙布は、江戸時代には伊達藩より将軍家へ夏の衣料用の最高級品として献上されていました。そしてそれ以降、京都の公家への進物ものとなっていきました。 しかし、紙布は長い歴史の中で多様に形を変えて珍重されてきましたが、近代紡績技術におされ、徐々に衰退していったのでした。明治六年にウィーン万国博覧会にて進歩賞を受賞され、大正三年の大正博覧会まで出品されましたがやがて姿を消していくのでした。 経糸に絹を緯糸に紙糸で織られた絹紙布(きぬじふ)、また経糸に綿を使った綿紙布(めんじふ)、経糸に麻を使った麻紙布(あさじふ)そして経糸、緯糸とも紙糸をつかったのが諸紙布(もろじふ)と呼ばれていました。 原料の和紙の漉き方にも紙子と紙布では違いがあるようです。紙子用は十文字に漉いていますが、紙布用は縦方向だけ揺すり、紙糸にした時に、繊維の方向が一定で強度が保てるようにセルロースだけの長い繊維のまま漉いているのです。 紙布作家の桜井貞子先生は言います。 「紙糸作りで様々な和紙を使ってきたけれど、、和紙を揉んでいると漉きての方の性格が伝わってくるのよ」itomomi 現在、桜井先生の紙布は、茨城県常陸大宮市で那須楮100%からなる西ノ内和紙の「紙のさと」さんの和紙を使われています。一流の和紙漉職人である菊池さんが漉く和紙は寒漉き(11月~1月の期間)で独特の工夫をこらした薄くて強いすばらしい和紙だそうです。そして揉んでいると穏やかさが伝わってくるそうです。 kamiitoその和紙で作るとつなぎ目の節も抜けず、じょうぶで光沢のある糸ができあがるのです。 西ノ内和紙は350年の歴史を持つ和紙で、徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)が編纂したことで有名な『大日本史』もこの和紙が使われました。西ノ内和紙は強靱で虫もつかず、また筆字がにじまないことから、商家が大福帳として用いられ、火事の際は大福帳を井戸へ投げ込み焼失を防いだそうです。

Sifu(紙布)との出会い ver.4

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お気に入りのウォーキングコース

私が、紙布(シフ)作家の桜井貞子先生を再び訪れたのは翌年にはいり、満開だった桜も散り、新緑の葉が茂る季節となっていました。

投薬後の手術の経過もよくウォーキングを再び始めるくらいに体力も戻ってきていました。

 

水戸市の作業場兼、自宅の庭に車を乗りいれエンジンを切ると同時に、桜井先生は玄関の外まで満面の笑顔で出迎えてくれていました。

時刻は、午後2時頃。

客間に私を案内してくれるとすぐに、「コーヒーは飲まれます?」と聞かれ、毎日飲んでいますと返事すると、「それはよかったわ」とコーヒー豆を手動のミルにいれると、ゴロゴロと先生は挽きはじめました。

お亡くなりになったご主人もコーヒーが好きで、その影響で先生も好きになり、必ず豆は挽きたてを落とすことにこだわっているそうです。そして、私と同様に先生もコーヒーはブラックで飲み、お茶菓子に、林檎のケーキをごちそうしてくれました。

先生とご主人との二人三脚で紙布製作にとりくみ始めた頃の話を聞かせてくださいました。この40年間という長い年月には言葉にする以上はるかに苦難や立ちはだかる壁が数多くあったなどは、具体的な事は解らぬども想像はつきます。しかし諦めずに貫き通す原動力とはなんだったんだろう、と思いながら私は先生の言葉に耳を傾けました。

わずかに残った文献をもとに技法を研究し、ご主人が製作の過程をその都度細部までの資料を作り、先生をしっかりサポートしていらしたと同時に、「どんなに辛くても主人がやめせてくれなかったのよ」と話す言葉の裏には、ご主人に対する深い信頼関係を感じとれました。

sifuito1紙布(しふ)の糸を撚る

紙布はまずは糸作りからはじめます。

90㎝×60㎝の4枚重ねられた和紙を屏風畳にして折ります。紙布は和紙が非常に大切なの、と先生は話されます。紙布専用の手漉き和紙は一定方向に繊維を揃え糸にする為の強度をだす手法をとられています。sifuito2

桜井先生の使われている手漉き和紙は、同県の常陸市で作られている、那須楮の最高級の和紙です。茨城県無形文化財にもなっている西ノ内紙の「紙のさと」さんの菊池さんが漉かれた和紙です。  重なった和紙を2㎜間隔で端は切らないように、カッターの刃を滑らせていきます。

sifuito31反(約37㎝×12.50m)を織るには約1万mの糸が必要となる為これが、50枚も必要となるのです。切った和紙を湿らせて乾かないうちに、専用の石の上で揉みます。

先生にすすめられて、試しに恐れ多くもこの私が、揉む作業をやらさせていただきましたが・・・・勿論、何度も和紙を切ってしまったり、揉んで細い糸の原型になるまでに乾いてしまい、揉めなくなったりと散々たるものでした。

sihuito5先生が、大丈夫修復できるからと言って下さったので、ホッとはしましたが全身に汗をかいてしまいました。難しいとは思ってはいましたが、予想以上でした。

 

この作業の後、糸車で糸に撚りをかけていきます。実は、この作業も先生に「撚ってみる?」と言われ私も体験してみたのですが、云うまでもありません・・・・・・

それからしばらく私は、先生の紙糸作りを見学しました。そこでまた淡々とこなす先生の姿に初めて展示会でお会いした時の存在感と同じ空気をまた肌で感じていました。

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和紙は気の遠くなる作業を経て紙糸へ、ここから更に染色・機織りの工程を経て紙布(しふ)へとなっていくのです。

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Sifu(紙布)との出会いver.3

Sifuとの出会いをテーマに綴っておりますが、紙糸を布にするには機織り機で布に織りあげるといった、作業が必要となります.

私はSifuと出会う少し前に織るという事を学ぶ為に、浅草橋に開校している機織り教室に通うこととしました。自身の体調との折り合いをつけながらの通いなので、あらかじめ、体調の良い活動期間に1~2か月先のスケジュールを組み、体調の悪い雌伏期間は反対に予定は考えないという方法をとりました。

 

体調の悪い時にスケジュールを組んでしまうといささか前向きさに欠けるので、体調管理予想表を作成することで投薬中も休むことなく通い続けることができました。

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布巻きに結ばれた経糸

機織り機は、4~6枚の糸で吊るした綜絖(ソウコウ)に経糸(タテイト)を通し、その先の筬(オサ)に通したのち、布巻きに経糸を結びつけます。その後しっかりと経糸を巻きとります。この時経糸が全て均等に張らなくてはならないので、緩みがでた箇所は結び直して何度も張りのチェックをします。

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セッティングができたら足で綜絖と繋がった棒を踏み、上下された経糸の間に緯糸(ヨコイト)を通していくといった作業で織り上げていきます。(説明が難しいのでずいぶんと端折った言い方をしています。)

教室は10時~17時までのほぼ一日過ごしますが、私はまだまだ機織り機が織れる状態までにセットするのに、とても時間がかかり毎回11時近くからやっと織はじめることができるのです。20150918_164331機織りは、今の私にとっては無心になれる貴重な時間となりました。

踏木を踏み、シャトルを滑らして経糸に緯糸をさす。

教室に響く機織りの音。

「カタン・タンタン…カタン・タンタン」

1300年も前から同じ音を響かせていたのでしょうか……

投薬に伴う活動スケジュール