「土に還るバッグ」
MENYSIDE編
展覧会から半月経った頃から、様々な形で反響が現れてきました。
私はその反響によってSifuあだちやが、勝手に一人歩きするのではと、一抹の不安を感じるようにもなってきました。
そんな胸中でいた私は、「土に還るバッグ」についてもう一度話を聞きたいと、弊社へ訪ねていらした方が私に語ったことを思い出しました。
Sifuとは私が治療の為の療養に入る時期に出会い、構想から1年半でここまで作り上げた事。彼にしてみれば短期間でなし遂げたと思っているようでとても不思議がっておりました。
そんなに不思議なこと?
Sifuあだしやの母体であるMANYSIDE(メニサイド)は、当初はサンプル専門の会社として起業しました。当時は展示会用のサンプルだけで年間で1500~2000型は受注しておりました。
ゼロからの作業となり、型紙をおこす前に色決め、使用内容、部位に合わせて生地の提案や皮革の加工、持ち込みの場合も、生地素材に合わせての形状や資材の組み合わせ、また、生産になった際の縫製工程へのアドバイス。
そうして多くのお客様の信頼を頂きMANYSIDEは、サンプルから、生産加工所、OEMメーカーへと様々なご要望に応えながら進化をし続けてきたのです。
サンプル時代からのあらゆる材料・資材屋さんとのやりとりにより、探求心を高め素材の精通をはかってきました。
長くもの作りに携わる専務は、鞄のパタンナー(型紙おこし)だけでなく、あらゆる素材・形状に対して精通し的確な判断力をくだすことに優れていました。工場長も加工所を経営する両親のもとで長く製品に携わってきました。なので生産工程においては専務の信望も厚く、彼のサンプル段階での意見も重要なのです。
そしてMENYSIDEで働く女性は、内職さんも含め7名です。
そのひとりに幼いお子を育てながら勤務し、保育園から熱が出たとなればお迎えに行く事もまだまだある彼女ですが、専門職として勉強して身につけた鞄製作の仕事を育児と両立させる為日々奮闘しています。
子育てがもう少しで節目を迎える、MANYSIDEの手裁断で職人歴の長い彼女は、高い責任感を持ち、製品に対してとても厳しい目で見落としのない検品・検査をする人物です。私の娘と同学年のお子を育てながら頑張ってきた彼女は頼りになる存在です。
そんな彼らを含めたMANYSIDEのスタッフと社外の多くの協力者がいてくれたからここまで来れたのだと私は感じます。弊社を訪ねていらした方が短期間と語った事を、改めて考えてみました。
実は短期間ではなかったのかもしれない。確かに 構想~「東京都ものづくり・商業・サービス革新補助金」申請~採択~事業開始~現在と1年半あまりの期間ではあるのですが、これまでのMENYSIDEの土台がなければ展示会に出展できた作品が出来るものではないと考えれば考えるほど思えてきたのです。
サンプル屋は丁寧な仕事をする。
それはあたり前の事。完成度が高いほど出展されたバイヤーさんの評価も左右はされる要因となるのです。サンプル屋出身の加工所だからこそ、生産時の作り手のやりやすさを考えて、デザインを維持したままの型紙と試作品を作る。そして、サンプル屋・加工所出身のメーカーだからこそ、素材からこだわり大量生産しても、ひとりのエンドユーザーさんの1個の為の作品を完成させるのです。
MENYSIDEは、共に働く彼らのタフさと、粘り強さと、職人としてのプライドと、順応性が進化へ繋がったとあらためて思うのです。そう考えると、1年半の期間ではなくもっと以前から始まっていたのかもしれません。
だから私がSifuを見つけたのではなく、Sifuが私達を見つけてくれたのかもしれません。そう考えるとこの時一抹の不安がいつの間にか消えてました。
「人能く道を弘む」
ひとよくみちをひろむ
目の前に広がる道はもとは、先人たちが森や荒地を切り開いて少しづつ作り広げていったものです。その前には何もなかったのです。私たちは初めから道があることに慣れてしまっているのです。仕事でも学問でも人生でも同じです。そこに道があるから進むのではなく自分で切り開いて進んで行くのです。
今日はこの言葉が私の心に響いた論語です。
takako.n