Sifu(紙布)  one’s happy vegetative life  ver.9

 

ボタニカルな生活最終

久しぶりのブログ更新です。

昨年11月から12月にかけての両国国技館、東京ビッグサイトの展示会出展、そして来週の展示会準備などなどに追われブログに向かう頃には、2017年になってしまいました。今年も何卒宜しくお願いいたしますm(_ _)m

ボタニカルな生活も、いよいよ終盤にはいり、野菜の最後の収穫と、次シーズンに向けての土作りには、工場長が小型耕運機持参であっという間に終わらせてくれました。

季節はすっかり冬となり、早朝霜で白くなった農園を歩く私の足元ではサクサクと音をたて、空からは時々ひらひらと白いものが舞い落ちはじめてます。

昨年撮った写真も今見るとまだ暖かくも感じます。

 

日本には身近なところでも四季の素晴らしい自然の移り変わる表情を魅せてくれるので、ホッコリさせてくれた秋の配色に思わず足をとめました。

 

ウオーキングコースの秋の始まり

ここも、あと2ヶ月もすれば桜が満開となる春が訪れます。

 


 

 

この1月、私たちが紙布をはじめて”土に還る鞄”としてお披露目した「あだちメッセ」からもうすぐ1年がたちます。

茜染トート大・茜トート小持ち手取り外し式

今回2度目となる展示会「あだちメッセ」出展では、プレゼンに参加することとなりました。今、その準備としてスライド作成の追い込みをしています。助手につく若手の職人が練習を何度かできるようにと思ってはいるのですが・・

 

吸収の早い彼女であれば、大丈夫と安心はしています。若いとはいえ彼女の祖父母は鞄職人であり、また両親も鞄職人といった鞄職人のサラブレットと言っておきましょうか。

ということで、展示会の原点となった足立区主催の「あだちメッセ」が控えていることもあるので、製作現場である職人たちに再びスポットをあててみようかと思います。

弊社は、創立から15年ではありますが、職人のものづくりのスキルは以前のブログで語ったようにとても高いものがあると言っても過言ではないのです。

メニサイド創業前からそれぞれものづくりに携わっており、縫製職人歴は30年以上、型紙職人歴も30年の実績を持ち、裁断職人歴も15年と経験を積み、短い職人でも10年以上といった職人たちと一緒に内職さんも日々頑張っているのです。

最近、Made in Japanに拘った商品が増加すると共に、国内製造の需要がここ、何年か急増しております。そして”ものづくり”に携わりたいといった人たちも同時に増える中、実際デザインは考えるが自分で生産は難しい為、製造できる現場を探すのに皆さん苦労をしているようです。

そんな現状ですが、日本は以前はたくさんの縫製工場がありました。

しかし、人件費の安い海外へ商品が多く流れてしまい、生産量の減った国内の縫製工場は次々と減少していきました。数え切れない多くの人が縫製職人といった職業から離れていきました。このことは、他業種でも同じことが言えることでしょう。

自ら身につけた熟練した技術を持つ職人とは、4年、5年で培われるものではありません。

熟練した技術と実績とは、長い時をかけた繰り返しの作業に付け加え、幾度もの挑戦と失敗と再生を経験値にかえ、実績として積み上げていくことです。

生産に入る前のサンプル製作の打ち合わせの時点で、お客様の依頼となる元となる図面では多分イメージをしておられる形状とは違う形で仕上がるであろうこともその時点で確認できることも度々あります。また、生産時の効率化を図るための形状修正、それによるコストダウンなどあらゆる視点から確認していき丁寧に説明と打ち合わせをし、出来上がってからの修正、生産時のトラブルをなくすようにするのです。

このことから、社員の職人としての長年の経験と知識が重要となるのです。

ものづくり” = ”人づくり” が重要だと私は考えるのです。

私は紙布との出会ったことにより、存続、継承、未来像、とあらゆる点で当てはめて考えることが多くなりました。それには、次なる職人の育成にも役立つのかもしれません。

私たちが目指す、many saide=(多面的)ひとつの見方に囚われず、あらゆる視点から”ものづくり”を考える。この取り組みは日々の小さな事柄から皆で話し合って実践しています。時には、勇気のいる決断も必要とするのです。

そんな経験豊富な職人たちの手によって誕生した紙布バッグの展示とプレゼンは1月26日27日10時~18時(27日は17時半)北千住マルイ11階で開催いたします。

 

詳しいことは「あだちメッセ」へはこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「下問を恥じず」

かもんをはじず

わからない事や知らない事を相手が部下や年下であっても、また娘や息子であっても素直に恥とは思わず聞くことができますか?立場や年齢が高くなると教えてもらう事が恥と感じて、周囲からも教えてくれる人であることを期待され、教えられる人ではなくなります。

日々、一刻一刻の変化の中で、順応の早い若い人の方が先に知ることも多くなりました。些細なことでも、わからない事は、部下であっても後輩であっても素直に教えを請う事で自分が賢くなるだけでなく、相手も人の役に立つ喜びを感じてくれるのです。

 

今日はこの言葉が私の心に響いた論語です

takako.n